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今さらの砂川事件最高裁判決

 

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ここのところにわかに引っ張り出されている砂川事件の最高裁判決ですが、もうなんだかひいきの引き倒しっていうのはこのことかというくらい、必死になって振りかざしていますね。政府が。

いうまでもなく、目下国会で審議中の安保法制、その中でも集団的自衛権の問題です。

世界に名高い平和憲法である日本国憲法は、我が国に集団的自衛権を認めているのかどうかという問題について、憲法学者が軒並み「憲法違反」と断じたために、どうも肯定する根拠が怪しくなってきて、さあ大変だ、何か根拠があったはずだということでよりどころになっているのが、この有名な最高裁判決というわけです。

本当は最高裁判決よりある意味有名なのは東京地裁判決(裁判長の名前をとって「伊達判決」と言われています)の方なのですが、今日は最高裁判決について。

どういうわけで砂川事件最高裁判決が集団的自衛権の根拠になるのかというと、

わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと

と判決に書いてあるからだというんですね。

なるほど、憲法前文に平和的生存権が定められていたり、憲法9条で戦争の放棄や交戦権の否認が定められていても、自己存在を守るための措置をとる権利(自衛権)まで否定しては自己矛盾になりかねないので、その権能はあるだろうということですね。それだけ読むと、じゃあ集団だろうが個別だろうが自衛権はあるっていうことだから、最高裁が集団的自衛権にもお墨付きを下さったってことだ、という見解にも理があるように思えます。

でもちょっと待ってください。
この砂川事件というのは、日米安保条約に基づいて米軍が日本に駐留するのはいいの? 憲法に違反しないの? ということが問題になった事件です。だって日本国憲法には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」って書いてあるのに、押しも押されもせぬ軍隊を国内に、それも首都東京に駐留させているってのは、なんか矛盾してない?
まったくもって自然な疑問です。

先ほど名前だけ紹介した「伊達判決」は、この疑問にわかりやすい答えを出しました。憲法は戦力不保持をうたっているので、米軍の駐留を認めている日米安保条約は憲法違反だとしたのです。
さあこれを聞いて政府のあわてまいことか。伊達判決は1959(昭和34)年3月30日。検察は高等裁判所を飛ばして最高裁に飛躍上告しました。最高裁はその年の12月16日には、15人の裁判官全員で構成される大法廷で大逆転のスピード判決を言い渡したというわけです。
ちなみに、時の田中耕太郎最高裁長官は、判決前に駐日アメリカ大使のもとを訪れて、伊達判決を破棄することを知らせていたというのですから、密約でもあったんじゃないのと疑われてもしかたありません。

さて、最高裁判決の理屈立てはこういうことです。

日本にも自衛権はあるけど、憲法が戦力持っちゃいけないっていうから、ぶっちゃけどうにもなんない。それをどうにかするためにアメリカの軍隊を駐留させるというのが政府のやり方なわけだけど、憲法に照らしてよくよく考えればともかく、ぱっと見「ありえない」ってほどでもないので、まあ裁判所がとやかくいうことはないね。

今話題の集団的自衛権とは全然関係ない上に、最高裁のお墨付きというには、全くもって頼りない判断なのです。
こんな判決をよりどころにする政府って、ねえ。

「逃げ」をうったつもりの最高裁も、今さらこんなに注目されることになって、きっと苦々しい思いでいることでしょう。

ちなみに、最高裁判決はこちらからご覧いただけます。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55816

 - 前文, 第2章 戦争の放棄 , , ,

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