いつも心に憲法を

わたしたちは日本国憲法をまもりたい

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日本国憲法をまもるということ

 

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 日本国憲法は1947(昭和22)年の施行から間もなく丸68年を迎えます。日本国憲法は、戦後わが国が平和国家として復興、発展の道を歩むシンボルであり続けてきました。
 日本国憲法は、ひとりひとりが個人として尊重されること、それはどのような境遇に生まれ育ったとしても、人であるというただそれだけの理由で尊重されることをうたっています。平和を守ることも、民主的な政治の仕組みを定めることも、すべては個人の尊厳を守るためのものであるとさえいえます。日本国憲法の理念は、今を生きるわたしたちの心にしっかりと根を下ろしています。

 ところが、現在の日本国憲法をとりまく環境はどうでしょう。日本国憲法は占領軍による「押しつけ憲法」だとして、自主憲法制定を目指す政治勢力はずっと以前からありましたが、日本国憲法を疑問視する考えは、そうした憲法の出自を問うものだけではありません。国家あっての個人であって、個人の尊重が先に立つのは間違っているとか、人権は当然に保障されるものではなく、国家に対する義務を果たしてこそ与えられるものだとか、軍事力による「平和」の創設といった、およそ日本国憲法とは正反対の考えが、公然と語られています。現に政権政党が公表している憲法改正案は、日本国憲法のもとで育まれた価値観を根底から覆す内容となっています。

 これらの考えに見え隠れするのは、権力者の視点です。自由な権力行使のためには、人権保障や平和主義、権力の分散などは足手まといであり、「決められない政治」の元凶であるようにも見えてきます。憲法を改正して、権力者が自由に権力行使をできるようにすることは、権力者自身にとってありがたいことでしょう。また、その権力行使するさまを劇場かスタジアムで見学するように傍観する観戦者にとっても、「プレイヤー」にはめられた足かせは、熱狂を削ぐ材料にしか見えないかも知れません。

 ところが、こうした「足かせ」こそが、日本国憲法を含む近現代憲法の真骨頂であり、多くの犠牲を払って人類が獲得した叡智というべき憲法の姿です。権力の刃は仮想敵だけでなく味方にも観戦者にも向けられてきました。権力は暴走する。それが人類の歴史であり、近代憲法誕生のエネルギーとなる「反省」でした。

 わたしたち東京中央法律事務所は、「憲法理念の実現をめざして」という抱負のもとに1963(昭和38)年に発足しました。日本国憲法はわたしたちにとっての原点でもあります。わたしたちは、日本国憲法をとりまく憂うべき事態に、もはや拱手傍観をきめこむことはできません。
 日本国憲法のことを知ってもらうこと、それが日本国憲法をまもるということの出発点だと思います。
 わたしたちにできることはほんのわずかなことかも知れませんが、このサイトを訪れたひとりでも多くのみなさんが、日本国憲法に関心を持ち、日本国憲法のことを知っていただけるよう、できるだけ分かりやすく憲法のことを書きつづっていきたいと思います。

 内容は順不同です。時系列に沿って読んでいただいても構いませんし、関心のあるところだけを読んでいただいても構いません。みなさんの憲法に対する理解に役立てば幸いです。

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