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民主主義と多数決

 

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国会で強行採決が行われると、

「民主主義が踏みにじられた」

という声が上がる一方で、

「選挙によって選ばれた国会議員の多数決によって議決するのだから、むしろ民主主義を貫徹しているのだ」

という反論も出されます。
同じ出来事なのに、民主主義に則っていると考える立場もあれば、民主主義に反していると捉える立場もある。これは一体どういうことなのでしょうか。

 

不確かな記憶ですが、小学生の頃、学校の先生が「民主主義は多数決だ」と話していたのを覚えています。同じような記憶を持っていらっしゃる方も多いかも知れません。実際に、「民主主義=多数決」と固く信じている方も多く見受けられます。

しかし、いうまでもなく、民主主義とは政治体制のあり方の問題で、多数決というのはある集団における採決の方法ですから、=(イコール)で結ばれるものではありません。

では、多数決で意志決定をする政治体制が民主主義なのでしょうか。
少しじっくり考えて見たいと思います。

 

まず、「民主主義」というのは一体何なのでしょうか。
「民主主義」という言葉自体は日本語ですが、その概念は欧米に由来するものです。元々は古代ギリシアで「人民による支配」を意味する「デモクラティア」、英語でいう「デモクラシー」であり、一部の権力者ではなく、民衆自身が民衆の問題を決定することを意味します。アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンがゲティスバーグ演説の中で用いた「人民の人民による人民のための政治」というフレーズは、端的に民主主義を言い表したものとされています。

民主主義を実践する場合、つまり、民衆自身が民衆の問題を決定するためには、民衆自身が自由に意見表明をできる必要があります。その前提として、意見形成のために自由に情報を得られることも重要です。また、意見表明は単なるアンケートの回答とは違いますから、互いに意見を述べ合い、議論をすることも欠かせません。議論というのは、互いに異なる意見に耳を傾け、批判し合い、より望ましい結論を見出すためのプロセスです。自らの意見を維持することを目的とし、それと異なる意見を排斥したり無視したりすることのみに力を注ぐのでは議論になりません。

リンカーンの言葉は単純明快でも、その実践はとても面倒くさくてイライラするものです。だって、異なる意見がひとつにまとまるなんて簡単なことではないですし、自分の意見を批判されることは、決して気分のいいものではありません。逆に、言葉を交わさなくても皆の意見が一致する時は、ちょっとした快感を感じるかも知れません。

 

議論を尽くしても意見の一致を見ない場合、どうしたらよいでしょうか。

まず、何も決定しないという方法があります。全会一致制なら「何も決定しない」ということもあり得るわけです。誰か一人でも反対するなら全体の意志決定にはならない、ということです。

現状変更をする意見が一定の割合に達した時は、その意見を全体の意志決定とする、という方法もあるでしょう。その割合を4分の3としたり、3分の2としたり、過半数とすることもあります。意志決定の対象となるテーマによっては、大半が納得できる意見でなければあつれきを生む結果となるため、過半数よりも厳しい条件にすることにも一理あります。

様々な意見の中の相対多数意見をもって全体の意志決定とするということもあります。広い意味での多数決です。相対多数ですから、その意見は全体の過半数に満たないこともありますが、それでも何らかの結論を出すことに意味があれば、あながち間違った方法とは言い切れません。

一旦全体の意見状況を整理するために第1次投票を行い、比較的多数の意見について再度議論をする、という方法もあるでしょう。議論が紛糾した時には、一度何が問題になっているのか、意見構成はどうなっているのかを整理することは意義のあることですし、乱立する意見を絞り込むことは結論を導く近道でもあります。

ほかにもいろいろな方法があります。「多数決を疑う」(坂井豊貴 著・岩波新書)という本がとても参考になりますので、興味のある方は読んでみて下さい。

このように、議論を尽くしても意見の一致を見ない場合に、何をもって全体の意志とし、あるいはどのようにして全体の意志決定を行うのか、というのは、かなり幅があるということが分かると思います。もちろん、過半数とか多数決で物事を決めるというのは分かりやすいのですが、結局はそれをもって全体の意志とするのが合理的かどうか、ということで、多数決は全体の意志を抽出するためのフィルターのひとつに過ぎないということです。

いろいろなフィルターの中から何を用いるのが適切かを考える上で、実は重要なのは、最終的に決定される全体の意志とは異なる意見(これを「少数意見」ということにします)をどう扱うかということです。議決の条件を厳しくするということは、逆に考えると、少数意見に拒否権を与えることになるからです。そもそも、多数意見と少数意見というように、きれいに二分されるテーマは必ずしも多くありませんから、文字どおり「多数」と「少数」なのか、見極めも大切です。

 

先日、歴史学者の磯田道史さんが、NHK「英雄たちの選択」という番組の、蛮社の獄を取り上げた放送回で、

「批判者を敵としてとらえるのではなく、高感度なセンサーとして見ることがいかに大切か」(要旨)

と話されているのが印象に残りました。渡辺崋山と高野長英を追いやったことの愚かさを言ったものですが、それにとどまらない響きを感じました。

 

「強行採決は、むしろ民主主義の実践だ」

と簡単に言い切ってしまうのは、やっぱり少数意見を敵視する短絡的な発想に思えてなりません。

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