愛を強要する国
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今年はオリンピックイヤー。リオデジャネイロ・オリンピックもあと1か月あまりで開会となります。スポーツに国境はないはずですが、どこそこの国が金メダルをいくつ取ったとか、日本人選手はどうなったとか、どうしても国別対抗的な報じられ方をするようです。
こんな時に、
日本を応援しないなんて、あんた、日本人じゃない
なんてことを言ったり言われたりするのを見かけることがあります。まあ、自分が生まれ育った国の代表選手としてスポーツの祭典に参加しているのですから、その活躍に期待する人が多数であることは自然なことでしょう。でも、個人的に応援している外国人選手が、まさに日本人選手と対戦するのを見て、その外国人選手を応援するのは、「日本人として間違っている」のでしょうか。
言うまでもなく、誰がどこの国のどの選手を応援しようが、あるいは、オリンピックなんて関心がないと言って外国映画でも見に行こうが、何も間違っていません。自由っていうのはそういうものです。
でも、こういう考えがどうしても許せない人もいるようなのです。
俺がここまで一生懸命日本のことを思って応援しているのに、何だ、お前ら。敵を応援するのか。無視しやがって、俺のこと馬鹿にしてんのか。それでも貴様ら日本人か。
さすがにここまで言う人はいないと思いますが・・・、いないとは断言できませんね。
今年2月、「保育園落ちた日本死ね!」という匿名のブログ記事が投稿され、その後あっという間に世間で話題になり、国会でも取り上げられました。
オリンピックで日本人選手を応援しないことさえ許せない人にとっては、「日本死ね!」とは何事か、そんなに嫌なら日本から出て行け、なんて言い出すくらいに腹に据えかねるのかも知れません。
でも待ってください。
スポーツの醍醐味や感動を味わいたい人にとって、選手の国籍は大きな問題ではありません。
国民全員が活躍できる社会を築くと言いながら、幼い子供をかかえた母親のことまで配慮してくれないのは、自分が「国民全員」に入れてもらえていないということではないか、と考えた母親が、そんな狭量な「日本」なんてどうにでもなってしまえ、と思うことに罪はありませんし、むしろ何とかしてほしいという心の叫びではないでしょうか。
「愛国条項」というのがあります。
国を愛する責務を国民に課すというもので、憲法に盛り込むべきだという意見も根強くあります。もっとも、さすがの自民党改憲案にも入っていませんので、憲法に愛国条項が書き込まれる可能性は低いかも知れません。
ただ、愛を強要する態度は、服従を求めるものにほかなりません。そして、自分になびかない者を憎み、排除する心理でもあるわけです。
それって、本当に国のとるべき態度なんでしょうかね。
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