好きなところに行けるということ
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「この世界の片隅に」というアニメーション映画が話題になりました。戦時下の広島・呉を舞台に、人々の暮らしの中に少しずつ、しかし確実に戦争の影が忍び込んでくるのを、主人公北條すず(旧姓浦野)の日常を通して淡々と描かれた作品です。
この作品の原作のとあるページに「旅行證明書」という文字を見つけました。
鉄道の切符を買うのに100km以上の旅行には旅行証明書が必要になるという昭和19年4月の回覧板の記事でした。同じ紙面には
「鉄道は戦ふ足だ」
「鉄道はこの人々(軍人、官公吏、産業戦士、通学生)の輸送で手いっぱいだ」
「不急旅行は断然やめやう。」
とも。
戦時下の優先順位は分かるのですが、長距離(といっても100km)の移動で、一々役所に届けなければならないとは、何とも窮屈な世の中ではありませんか。
これを見て思いだしたのが、憲法22条です。
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
憲法22条は、「職業選択の自由」が定められている条文として知られていますが、「居住・移転の自由」についても保障しています。
かつて人が領主による支配の対象であった時代には、勝手に好きなところに引っ越したりすることは許されませんでした。封建社会において領地を耕作する農民に年貢を納めさせることを考えれば、それが合理的な方法だったのでしょう。
しかし、人や物が自由に行き交うことこそが近代社会経済の前提として認識されるようになり、個人の権利としての人権思想を背景として、「居住・移転の自由」が確立していったのです。
居住・移転の自由は、憲法上、職業選択の自由と一緒に規定されていることもあって、経済的自由のひとつとして捉えられることがあります。もちろん、人々の居住・移転の自由なしに近代市場経済が成り立たないことを考えると、経済的自由であることは疑いありません。
しかし、好きなところに行き、知らないものを見て、様々な人と交流することは、心を豊かにし、人格的な成長をするためにも不可欠なことです。知見や見聞を広めるというのはそういうことです。その意味で、自由な移動を含む居住・移転の自由には、精神的自由としての側面があることを見逃すわけにはいきません。
移民問題で揺れるヨーロッパやアメリカのように、国境を越えた移住、特に入国の面では、より複雑な問題をはらんでいて簡単に解決できる問題ではないと思いますが、戦争とか国防とか治安が前面に出てくると、途端に居住・移転の自由はおびやかされることがあるのですね。
治安や統制の行き届いた社会というのは、一方で個人が自由に生きていくには息苦しい世の中でもあるわけで、私たちが求めている社会の姿はこれでよかったのかな、と、時々視野を広げて見直してみることが大切ではないかと思います。
視野を広げるためにも、必要な自由なのです。
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